景福宮

朝鮮王室が暮らし、国の政治を行った宮殿です。国家行事の勤政殿や池に立つ慶会楼など、建物ごとに役割が異なります。
ここを選ぶ理由
王宮の壮大さを感じたい方に。広い庭に立つ勤政殿と池に浮かぶ慶会楼を一度に楽しめます。
ここでの楽しみ方
まず広い庭から全体を眺め、軒下の色彩や柱の間の模様を見てみましょう。
記録でたどる物語
景福宮は新しい朝鮮王朝の出発を示すために建てられました。1395年の創建、戦後の再建、日本統治期の損傷、その後の復元が今の風景に重なっています。
1395年、新王朝の中心を築く
太祖・李成桂の時代、1395年に朝鮮の中心宮殿として建てられました。北岳山を背に、正門前には主要官庁が並ぶ六曹通りが延びていました。「景福」には新王朝の大きな幸福を願う意味があります。
王の住まいであり、政治の場
『太祖実録』1395年9月29日の記事には配置や用途が記されています。寝室だけでなく、政治を議論する殿舎、厨房、物品管理の官庁もありました。国史編纂委員会の解説では創建時は約390余間とされます。「間」は単なる部屋数でなく、柱と柱の間の建築単位と考えると分かりやすいでしょう。
270年以上を経て戻った宮殿
1592年の文禄の役で焼失し、すぐには再建されませんでした。高宗の時代、1865年に再建を始め、1867年に完成しました。現在の姿は創建時のまま残ったものではなく、長い空白を経てよみがえった宮殿として見ると歴史が分かります。
宮中の悲劇と損傷
1895年、乾清宮の玉壺楼で明成皇后が殺害される乙未事変が起きました。日本統治期には博覧会などを理由に多くの殿舎が撤去され、1926年に朝鮮総督府庁舎が建てられました。1990年代からの本格的な復元で、失われた空間が徐々に戻っています。
池の底から本当に龍が?
1997年の慶会楼の池の整備で青銅の龍が発見されました。『慶会楼全図』には火災を防ぐため銅の龍二体を池に入れたと伝わります。龍が水を司ると信じ、木造宮殿の防火を願ったのです。出土は事実ですが、防火の力は当時の象徴的な信仰であり、生きた龍がいたという意味ではありません。
参考資料
訪問前のご確認
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